-窯の起こり-
江戸時代の末期、村田清風の五白政策(米・塩・紙・はぜ蝋・白磁)により有田から職人を呼び御用窯として文化13年(1817年)に創業し、明治に藩より払い下げを受け染付磁器窯の小畑焼としての成長期を迎えます。隆盛期には日本国内のみならず中国大陸にまで輸出をしておりました。その後、鉄道の普及で他産地の磁器製品との競合の差別化を目指し、陶器の萩焼に変更し現在に至ります。
-勝景庵-
7代兼田佳炎の時代、萩市街を展望できる景観の地に工房を作る際に、景色に勝る作品創りを目指すとの想いから名付けられました。
-ご挨拶-
当代 八代 兼田佳炎
当窯の作品は大道土の原土と金峰土を水簸し天日乾燥、土練機を使い調整、1ヵ月以上寝かせて使用しております。萩焼の原土を厳選し自ら精製、自家製の長石木灰を使い釉薬を作っております。ろくろ成形の後は、素焼、施釉、登り薪窯で30時間以上かけ焼成しております。
私は“松の命を作品に”をモットーに萩焼の伝統を守り、使って心が和み贈って喜ばれる作品造りを心掛けております。
兼田 知明
私が作品を制作する上で、心がけている事の中の一つに、使い勝手の良さがあります。器であれば料理を盛っての彩り、花入れなら花との相性、手元に置かれ普段使いの器として楽しんで頂ければ、作り手としてこれ以上の幸せはありません。
昨日より今日、今日より明日。1点でもより良い作品を創り出す。常にそう思いながらろくろに向かって作品創りをしております。陶芸作家の仕事は作品を手にされた方に大切に扱っていただける事により、100年でも200年でも後世に残ります。私はいつまでも大切にされる様な、次代の方々に観られても恥ずかしく無い様な作品を創り出せるよう、日々錬磨致して参る所存です。
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